モソロフのこと

1991/04/18 : 志村泉
「へるめす」91年3月号

四年ほど前“ロシア・アバンギャルドの作曲家達を紹介する企画でいくつか作品を弾いてほしい”といわれ、モソロフという作曲家を知りました。その時弾いた のが、彼が二十五歳の時に書いた最後のピアノ・ソナタ。ロシア・アバンギャルドというものすら、その何年か前に「太陽の征服」という幻のオペラを再現する 公演に参加し垣間見た程度で”モソロフ”という名前も知らず、渡されたソナタはその時の私には手にあまる大曲でした。

いつものことで引き受けてしまったからには弾かねばならぬと、まあ、まる一月は悪戦苦闘し何とかコンサートにこぎ着けた覚えがありますが、とにか く、その曲を弾くことに楽しみがある、というよりは、実に苦しいものでした。音楽が表現している世界が暗いからというのでなく、作曲者の苦しさばかりが伝 わってくるような気がしたものです。今まで何か作品を弾くことで、あんなに自分が苦しくなっていったということは、他になかったように思います。コンサー トが終わった時には”あれはいったいなんだったのか”という感じでした。

あの時のあの曲が、今私が力足りないながらも、何とか自分の演奏で一人でも多くの人に聴いて欲しいと思っている、モソロフの「ピアノ・ソナタ第 五番二短調」なのだと思うと不思議な気がします。いつからそういう気持になったのか自分でもよくわからないのですが。ベルトやグバイドゥリーナ等、ソ連の 作曲家が来日し、シュニトケやデニソフの作品を聴く機会もあり、自分もソ連の国際音楽祭に参加して色々な作曲家の作品を聴くことができ、“ペレストロイカ の影響で、ソ連の作曲家達もどんどん紹介されるようになった。ショスタコーヴィチの全貌を知る日も近い”というようなことが言われているのを見たとき、” そういえばあの、すごく苦しそうな作曲家、モソロフなどはいったいどうなるのだろう。やはり忘れられたままなのか”とふと考えたのだと思います。

でもこれは何も知らない私の勝手な心配で、実は興味のある人はけっこういて、吉祥寺のレコード屋さんで試しに聞いてみたら、ちゃんと「モソロフ作品集」というCDも手に入ったわけです。

その中の民族楽器をたくさん使ったなんとものどかな組曲や、美しいハーモニーの民謡を合唱曲にしたもの等モソロフ晩年の作品と、ピアノ・ソナタと ほぼ同時期のあまりにも前衛的な、耳をつんざくような叫びと、ほとんど聴く方の体力がついていけないような、休むことを知らないエネルギーをぶつけたピア ノ・コンチェルトの両方を聴いた時、1925年、モスワウ音楽院の学生としてあのピアノ・ソナタを書いていた作曲家の心の中には、自由に音楽を楽しむこ と、自由に音楽の活動をすることが当り前の世界にいる私たちの理解を越えるなにかがあったのだと思いました。

自分の感じるものを表現できない、いつも監視され、他人を信じることもできず、自分の明日の運命もわからない、空気を自由に吸うことすらできない ような、そんな世界からの叫びを、四年前の私は受け取ることはできませんでした。今はできるのかと言われると困るのですが、何故か、作品の中にとじ込めら れているどうしようもないエネルギーを、音にして開放してみたいと強く思うのです。

そして、あの不安、焦燥、絶望の中に、誰もが共通に持つ若さ故の心の動揺を聴くか、強烈な個性を聴くか、狂った体制の中に沈められていく作曲家の叫びを聴くか、それは自由なのだと思います。

昨年秋、京都でのリサイタルの後半に、ベートーヴェンの「月光」とこのソナタを並べてみました。あまりにもよく知られたソナタと全く知られていないソナタと並べてみると、不思議にどちらも新鮮な存在感があったような気がします。

志村 泉(「へるめす」91年3月号より)