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2つの「24の前奏曲」を弾く

前奏曲の森の彼方へ
演奏会 1995年4月29日


 何年か前、林光さんから「24の前奏曲とフーガ」を書きたいと思っていることを伺った時、いっぺんに夢がふくらんでしまい、それはどのように進んでどのように初演されて行くのか、どんな作品になるのかと頭の中がいっぱいになってしまいました。

しばらくして少し冷静に考えてみると、林光さんはただご自身が書きたいと思っているとおっしゃっただけで、ひと言も私に弾くようにとか初演するようにというようなことはおっしゃっていないことに気が付いて、でも今までのピアノ曲は99%弾かせていただいて来たし、でも何か今までとちょっと違う、すごく”自分の中から書きたい気持ちが湧いて来た”というか、”誰が弾こうと弾くまいと書いておきたい”というような感じでおっしゃっていらしたし、急に不安になって、ある日お電話で恐る恐る、”あの、その新しい曲集は私が全部初演させていただいてもよろしいのでしょうか?”と伺ったら、”バラまくつもりはありません”という答え。

”それはつまり、とりあえず私が全部初演していいのだ!”と解釈し、今度は本気で夢をふくらませていったわけです。

 数年後、「24のプレリュードとフーガ」は「24のプレリュード」へと構成を変更されたとか。作曲家が書きたいものを書くのが一番。

ちょうどその頃、「音楽教育の会」の京都サークル「つめ草音楽の学校」が特別企画コンサートの第一弾に私のリサイタルを企画してくださることになり、夢だけでまだどうなるのか形のわからなかったものが、”ではそのコンサートで最初の何曲かを”ということになり、同時に私は、少しずつ色々な所で、できれば「音楽教育の会」との関わりの中で初演して行けたらという気持ちになりました。

私の思いは通じ、京都のあとは岡山で、そして東京で、福井の夏の大会でと私のコンサートを作っていただき、4曲ずつ初演して行きました。

次の4曲は昨年春、林光さんの合唱曲「脱出」の二台ピアノ版の初演で共演させていただいた名古屋青年合唱団が私のリサイタルを企画してくださり、その中で。

作る人、演奏する人、聴く人が一体となって、この作品は生まれて来たと思います。


 ショスタコーヴィチの「24の前奏曲」と組み合わせることにしたのは一年ほど前。何と行っても魅力的な組み合わせだと思いました。

でもその時思っていた以上に、私にとってこれは素敵なドッキングであることが、だんだんわかって来たのです。林さんから書き上げられたばかりの譜面をいただいて弾いて行く時、ショスタコーヴィチの前奏曲のひとつひとつも60年前、新しく生まれて行ったそのことが、実感できるような気がしました。

最初は何かとても取っ付きにくくて、私が弾こうとしてもあちらは知らん顔。 ”まるでおもちゃ箱をひっくり返したような曲だ”としか思えなかったその中に、少しずつ、すごく身近な感覚や感情が溢れているのが感じられて来たのです。

馴染みのなかった作曲家の作品の中に、意外にも親しみのあるものが見えて来ると、今度は、自分にとって最も親しみのある作曲家であるはずの林光さんの作品の中に、もしかしたら私の知らない世界がいっぱい広がっているのではないかしらと、見慣れていたはずの風景が急に違って見えてくるような気さえして、あらん限りのアンテナを張り巡らして、譜面に向かうようになりました。

そしてそれを聴いてくださる方が、その中にどんな音の風景を感じ取られるのかは、私の想像を越えたものだと思います。


 1年半に渡って作曲し続けてくださった林光さん、60年後、見も知らぬ私のようなピアノ弾きにも弾けるように「24の前奏曲」を書いておいてくださったショスタコーヴィチさん、このリサイタルが実現するまでに様々な形で関わってくださった方々、今日のこのコンサートにおいでくださった皆様、そしてこんなに不器用な活動しかできない私を理解してリサイタルを主催してくださるムジカの皆さんに、心からお礼を申し上げます。


1995年4月29日 志村 泉 (演奏会プログラムより)

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