2015年5月・チェコでの9日間

2015/05/01 : 志村 泉
テレジンの会機関誌「未来へのかけ橋」

 一瞬一瞬が輝いていたチェコでの9日間。
すべての瞬間を巻き戻したいような時間の連なりの中で美しい景色と、出会う人々と、おいしい食べ物と(ビールと)、そしてツァー参加の40人近い方々と、自分がいつも融けあっていたように感じます。
どの日も思いもかけないうれしいことが起こり、ノヴァー・ジーシェとピーセクのコンサートを終えて、“もうこれ以上のことは起こらないだろう”とどこかで 思っていた私は旅の6日目、プラハから向かったバスがテレジーンの町へ入ったとき、自分の中から突然深い感動が湧きあがってきて驚きました。“私はこんな にもテレジーンに来たかったのだ”と初めて気づきました。
まず市庁舎を訪問。出迎えてくれたチェホバ前市長さんの顔を見たら何故か涙が出て、抱き合って再会を喜びました。彼女は私に「私はあなたの写真を家に置い て、毎日見ている。」とおっしゃるのです。思いもかけない言葉でした。男性の新市長さんは恰幅がよく、明るく人懐こい感じの方で、満面の笑みで私たちを迎 えてくださいました。長年市長を務められたチェホバさんが、“是非この人に”と推した方だと伺いました。
新市長さん、チェホバさん、そして日本側から「テレジンの会」会長の上條先生のご挨拶があり交流を深めました。チェホバさんは着いたばかりの私たちに、「5年も空けないで、もっと早くいらっしゃい。」とおっしゃいました。
ムジカの渡辺さんから「志村さんからも一言」と言っていただき、「私たちの15年間は(ピアノをお送りしてからの年数で、最初にお会いしてからは18年)チェホバ市長と共にありました。」とお話したら、もう色々なことが思い出されました。

あの2002年の大洪水の時、隣町のリトミニジツェのホテルに滞在していたフラトーさんとヨナスさん(ウルマンの作品で共演するドイツの役者さん)と私 は、封鎖されたテレジーンの町にフラトーさんの車で入りました。ひどい被害を受けた町の家々の壁には、私の背の高さぐらいのところまで水が来た跡が残って いました。広場まで行くと当時の副市長さんが泥だらけになってあとかたづけをしているのに出会い、思わず抱き合って無事を喜びました。ひげを蓄えた一見芸 術家風の彼は、実はジャガイモを作っている人で、“どうしても水をかぶった自分の畑を見てほしい”と私たちをご自分の車で案内してくださいました。ちょう ど今回訪問した小学校のあたりだったように思います。(彼にも今回11年ぶりに再会し、ほんとうに感激しました。)
市庁舎の事務所ではショートパンツ姿のチェホバさんがきびきびと電話で連絡をとり、緊急事態の中で市長の仕事に全力を尽くしているところでした。“こんな ところに来てしまって”と躊躇する気持ちがあったのですが、チェホバさんは感激して私たちを迎えてくださいました。ほんの数分のことでしたが、あの再会は 忘れられません。
当然テレジーンでのコンサートはふっとんでしまったのですが、どうしてもやってほしいという方がいらして、リトミニジツェの古いホールで10人足らずのお客様のためにヨナスさんとコンサートをしたのです。
そんなことが頭をめぐり、「2002年の洪水の時にも、チェホバさんにお会いしました。」とお話しした私の言葉にチェホバさんは、また話し出しました。 「あの大変な中で志村さんに会い、私はエネルギーをもらいました。」とおっしゃったのです。ほんとうにうれしい言葉でした。

私は夕方からのコンサートがありましたが小学校訪問はあきらめることができず、一緒に行かせていただきました。
着くなりチェホバさんが、かわいい金髪の男の子を「私の孫です。」と紹介してくださいました。男の子はそれは嬉しそうに私の腕にしがみつきながら一緒に歩 き、私が当然チェコ語が分かると思っているように夢中で私に話し続け、あまりの可愛さに、私もなんだかさっぱりわからないけれども「うん、うん。」と答え ていたら今度は突然、両手でピアノを弾く真似をして私を指さすのです。「あなたがあのピアニストでしょ。」と言っているのが分かって、「そうよ、そう よ。」と言いながら一緒に歩いて行きました。
広く開放的な空間で、子どもたちのパーフォーマンスが始まりました。3年生だったでしょうか、男女が組む踊りでは、子供らしさの中にも男性が女性を見る、 また女性が男性を見る雰囲気が表情に自然に現れて、見とれてしまいました。“これは日本人にはないものだ”と思いました。フィギュアスケートで男女ともソ ロは素晴らしい選手がいるけれども、ペアは何となくしっくりこない気がしますが、やはり文化の違いなのだと思いました。
それにしても子どもたちも先生も、なんと自然体でいることか。
女性の先生方のファッションにも驚かされました。日本だったら完全に浮いてしまうでしょう。超ミニスカートで大胆に足を組んでいるかと思えば、胸の大きく開いたワンピースを着こなし、それが全く自然で素敵なのです。
ツァー参加者もバスの中で練習を重ねた歌を披露。実際に小学校を訪問するのは今回初めてであっても、“あのピアノを贈ってくれた日本の人たち”という信頼 感が大人にもこどもにもあるのでしょう。また私は参加していませんが2008年の旅で深めた交流、そういうものが積み重なって今があるのだと思いますが、 懐かしい人たちに会えたような温かい雰囲気に溢れていました。

さすがに小学校での会食はパスして渡辺さんと、あのピアノが待つ文化ハウスへ向かいました。18年前、コンサートをするために初めて訪れたあの場所。あの 時は、元は立派な建物であることは分かりましたが、全体が灰色っぽくくすんでいて、そこに町に一台の傷だらけの小さなグランドピアノが置いてありました。 傷だらけはかまわないのですが、ヤナーチェクの「霧の中」から始まり日本の作品、そしてクラインとウルマンのソナタを弾くというすごいプログラムをひっさ げてのりこんだ私は、あの楽器を弾いてみて、“このピアノで演奏なんて、あり得ない!”という気持ちと、それを上回る“とうとうテレジーンで演奏でき る!”といううれしさでいっぱいでした。
灰色だったあの文化ハウスが美しいパステルカラーになっていたのは2000年、私たちがお贈りしたヤマハ・ピアノのオープニング・コンサートの時でした。一台の新しい日本のピアノをどれほど町の人たちが喜んで迎えてくださっているのかが分かりました。

思い出深い文化ハウスに入り懐かしさでいっぱいになっていると、前の壁に以前にはなかった女性の肖像画がかかっているのに気が付きました。“最近テレジー ンではこの女性が何かで活躍しているのかな?”と思ったのですが、何かちょっと変な感じがして近づいてみたら、なんとそれは私の肖像画でした。だいぶ昔の 写真をもとに、どなたかあちらの方が描いてくださったものでした。
そしてピアノを弾いてみました。2000年にお贈りした時の音は、いかにもヤマハらしい繊細な美しい音でしたが、今回はシャープさを残しながらも、どっし りと太く豊かな奥行きのある音で、まさに“チェコのピアノ”になっていると思いました。このピアノがテレジーンの町でみんなに愛されてそこにしっかり存在 しているのが感じられました。
“ほんとうに、良かった!”と、うれしさでいっぱいになりました。寄付に参加してくださったすべての方に、「あのピアノはテレジーンでしっかり生きていま すよ!私たちの行動は、素晴らしいものだったのですよ!」と伝えたい気持ちでした。「テレジンの会」の運営委員の方たちがこの15年間、100回以上の運 営委員会を重ねてこられた、そのご苦労もこれで報われると思いました。

3回のコンサートの中で、テレジーンのプログラムが最後まで決まらず、“スカルラッティで始めようか”などと考えても今一つしっくりこないものが残ってい ました。ムジカにもなかなかプログラムをお伝えすることができないでいたのですが、もうあと2ヶ月というころになって、“そうだ、テレジーンではベンダか ら始めよう!”と思いつきました。大バッハの息子たちと同じ時代の人で、チェコ文化研究家の関根日出男先生からヴォジーシェク、ドゥシークなどとともに、 「質の高い作曲家ですよ。」と教えていただいた人でした。私自身、こんな素晴らしい作曲家が何故知られていないのかしらと思います。彼のクラヴィーア・ソ ナタは今の私にとっては、モーツァルトのピアノ・ソナタよりずっと魅力的なのです。
このベンダが決まったことで、気がついてみたら、3つのプログラムは林光さんの「徳利小」以外、すべてチェコの作曲家の作品となっていました。1722年生まれのベンダから1921年生まれのJ.ノヴァークまで、200年間にわたる9人の作曲家。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトといった作曲家たちが活躍した、いわゆる古典派という時代のベンダやヴォジーシェクの作品は私にとって、子どもの頃から当然のように創りあげてきた西洋音楽の歴史に対する固定観念に、風穴をあけてくれました。
パズデラさんから、「チェコ人はみんなフィビヒが大好きなんだ。」と伺っていたフィビヒの「気分、印象と思い出」は、全376曲に目を通し弾いてみて、昨 年のリサイタルのために17曲を選び、またその中から10曲にしぼりました。まったく勝手に選んで勝手に並べたのですが、もう私にとってはこの10曲が一 つの世界になってしまいました。
チェコでもそれほど知られてはいない作曲家、J.ノヴァークの「半音階的トッカータ」はとてつもなく難しい曲で、弾くのには大変な苦労をしましたが、それでも弾きたいと思わせる魅力がありました。
そして第2次大戦中のテレジーン収容所の中、信じがたい精神力でクライン、ウルマンが書いたソナタ・・・。

延べ2時間のプログラムの準備は私にとって並大抵のことではなく、心身共に最後まで余裕のない状態だったのですが、出発する数日前、ふと私の中で確かに感 じたことがありました。それは、今弾いているすべての作品は、“この世は美しい”ということを伝えているのだということでした。“この世は美しい”という 言葉はもしかしたら、関根先生が訳されたヤロスラフ・サイフェルトというチェコの代表的な作家の、「この世の美しきものすべて」という本の題名が心に残っ ていて出てきたのかもしれませんが、時代もスタイルもまったく違うこれらすべての作品が皆、“この世は美しいのだ”ということを言っていると感じたのでし た。そして5月のチェコの景色まさにその言葉どおりだったではないですか!
それにしてもそのようなことを感じるとは夢にも思っていませんでした。今回のチェコでの3つのコンサートの準備に没頭する中で、林光さんを含め10人の作 曲家たちの作品が私に教えてくれたのだと信じています。“音楽とはそういうものなのだ”と、私自身が自分の手でつかみ取ることができたものだと思っていま す。
そのぐらい今回のチェコの企画は、私にとって大きな意味のあるものでした。

考え抜いたプログラムはどれも成功だったと思います。
特にテレジーンでは、古典からテレジーン収容所の作品まで入り、そして「モルダウ」があるというプログラムは町の方々にほんとうに喜ばれました。
ピーセクでもそうでしたが、いらしてくださった地元の方々の満足げな笑顔、そしてツァーのメンバーとお互い話をするわけではないけれども、一緒に作り出してくださっている温かい空気には、どんな苦労も報われると感じます。
あの“チェコのピアノ”になったヤマハ・ピアノで「モルダウ」を弾いている時は、私自身心がチェコ人になってしまったような気がしました。
そして私のアンコールの代わりに皆さんに歌っていただいた、丸山亜季さんの「ふるさとの歌」。私は題名を伝えたわけではなく、「日本の歌を一つ」と言った だけなのですが、言葉はまったく分からないはずの町の人たちが、涙して聴かれる姿には、ほんとうにあの音楽の何がそうさせるのだろうかと、不思議でした。 「我が祖国」の「モルダウ」と「ふるさとの歌」はやはりつながるのでしょうか。

今回の旅を共にできた私たちは、「一生の宝」を共有したと思います。
音楽評論家の小村公次さんが参加してくださり音楽の色々なお話をできたことも、今までの旅とはまた違う面での充実感があり、私にとってほんとうにうれしいことでした。
遠く離れ、普段は会うこともないチェコの人たちが幸せに暮らすことを、あの子どもたちがたくましく成長してチェコの未来を担っていくことを願う心とともに、また私たちも前に進みたいと思います。

                     志村 泉
テレジンの会機関誌「未来へのかけ橋」より