ショパン~自分の愛するものがふえたこと~

1995/10/14 : 志村 泉
雑誌「へるめす」第29号

長い間、ショパンは弾きたくないと思っていたのに、今は、ずっと弾いていきたい作曲家の一人になっている・・・・・ということについて考えてみると、ず いぶん色々なことが絡みあっていて、私のような単純な人間でさえ、生きていくうちには、変わっていくものだなあと思います。

何故、長い間ショパンを弾きたくなかったのか。

まず子供の頃、同年輩の小学生がショパンを弾くのを聴く機会がよくあって、その度に何故かショパンのステキさがそのまま、自分にはとてもあんなス テキには弾けない、という劣等感につながっていってしまって、いつも苦い気持ちで聴いていたこと。それから私の手が、特別に小さいわけではないけれど、指 が開かない、ショパンを弾くには向かない手で、大学入試の課題曲で完全に腕をこわしてしまったこと。ノクターンに代表されるように、左手が分散和音の伴奏 型で右手がメロディー、これは左手への”差別”だとしか思えなかったこと。

私の手の届かない所に、”ショパンの音楽とは・・・”というものがあるらしいということ。ブレヒト・ソングの魅力など知ってしまえば、ショパンの 美しいメロディーなんて、”甘ったるいわね”と言いたくなってしまったこと。なにしろ実際弾くのがむずかしくって、歯がたたなかったこと。

ショパンを聴く人が、弾く人以上にショパンに対する固定観念を強く持っていて、私が演奏しても受け入れてもらえない場合があったこと。反対に、現 代モノを弾くピアニストのショパンは、すごく変わっているはずだという期待?を、最初から持たれて閉口したこと。ピアニストがみんなショパンを弾くこと。

ピアノ・オペラの仕事から演奏活動に入って、今までのピアノの歴史とは一見無縁な所で、本当にピアノを好きになってしまったこと。私も弾くからにはある程度、上手に弾かなければならないという見栄があったこと・・・・・等々。これがショパンを弾く気にならなかった理由。

では何故弾きたくなったのか。

まず、心の奥底で、ほんとうは最初からすごく弾きたかったらしいこと。”ショパンはこうでなければならない”という得体の知れない、目に見えない 壁を恐れずに、現代音楽を弾くときと同じような気持ちで、自分の目で譜面を眺められるようになったこと。その結果、”あんなのショパンじゃない”と言わ れてもかまわない、と図々しくなったこと。多少、技術的に余裕ができて来たこと。

“飽くまで美しい”ということを、そのまま受け取れるようになったこと。優雅な流れとしか見えなかったメロディーラインが、優雅であっても力強く 存在する建築の一部分のように見えて来たこと。左手と右手は、実はいつも対等にひっぱり合っていると感じるようになったこと。ルビンシュタインの弾くマズ ルカを聴いたこと。

現代作品を弾いていく中で、ピアノという楽器と自分が出会えた、その同じ線上で、ショパンも弾けるような気がして来たこと。二年前にベーゼンドル ファーを手に入れたこと。ポロネーズとは、マズルカとは、という理解も大事だけれど、その奥にやはりショパンの心が溢れていると思ったこと。何回か、” ショパン、良かったです”と言ってもらえたこと。

これだけ多くの人に愛されるということは、やはりそれだけの良きものなのだと、素直に思えるようになったこと。私のまわりにも、ごく自然にショパ ンを愛している人が何人もいたこと。およそ”芸術”なんて、こういうものだと決められないから”芸術”なんだと納得したこと。自分が信じたものを他人に受 け入れてもらえるかどうかなんて、そんなことを先に心配していたのでは何もつかめないんだ、と言わば開き直ったこと。

これがだいたい、ショパンを弾こうと思うようになった理由・・・・と書き並べてみましたが、やっぱり言葉では言い切れません。ショパンに限らず、演奏する喜びは。とにかく、自分の愛せるものがふえたことが、うれしいです。

志村 泉(雑誌「へるめす」第29号(1991、1月)【岩波書店】より)