20年目のチェコ

2017/07/18 : 志村泉
未来へのかけ橋第39号

 人生はどこでどうなるのか、ほんとうに分からないものだとつくづく思います。
20代の終わりごろヤナーチェクの音楽に出会い、合唱付きの管弦楽作品「アマールス」にのめり込んで毎日レコードを聴き、オペラ「カーチャ=カバノヴァー」を見て感動し、連作歌曲「消えた男の日記」の公演に出演し、ピアノ曲も弾くようになり、ヤナーチェクの伝記映画に夢中になっても、チェコへ行こうなどとは夢にも思わなかった私が、ここまでチェコという国に触れていくことになるなど、当時は考えられないことでした。
20年前、「志村さんはヤナーチェクをよく弾いているようですから、チェコに行きませんか?」と声をかけてくださったムジカの渡辺さんも、あとから伺ったらヤナーチェクの合唱曲に魅了されて、特に「アマールス」にのめり込んでいらしたということですので、何かそのあたりから不思議なつながりが出来ていたのかもしれません。
最初の旅から、パズデラさんとの出会いと、テレジーンとの出会いという二つの柱ができ、パズデラさんとの共演が始まり、3年後には900人近い方の寄付でテレジーンの町にピアノを贈るという壮挙、そしてその後の交流ということを思うと、それはいつもたくさんの人たちの温かく大きな支えがあり、そしてそのたくさんの人たちにとっても、何らかの形で意味のある良きものであり続けてきたから、ここまで来られたと思います。
そして一方通行ではなかったということ。あちらにも私たちを待っていてくださる方がいらした、そして毎回新しい出会いがあったということ。これが大きいと思います。

20年目ということにさほどこだわりがあったわけではないのですが、私自身「ここまで音楽をやってこられて、ここでもう一歩、私なりに音楽を深めたい」という漠然とした気持ちが強くなってきていたところでした。それがこの「20年目」と重なり、当初からパズデラさんと弾いてきたスメタナの二重奏曲「故郷より」も、今までとは違う演奏をしたい、10年前から弾いている「モルダウ」をもっと深めたい、「アリスの奇跡」のアリス・ヘルツ=ゾマーがテレジーンで何回も演奏し、戦後初めてのコンサートでも演奏したベートーヴェンの「熱情」ソナタを、私もテレジーンで演奏したい、あのギデオン・クラインが演奏していたヤナーチェクのソナタ(これは最初の旅で弾いたものです)をもう一度弾きたい・・・など、おのずと力が入ってくるものがありました。

そして私にとってはその気持ちを強力に後押ししてくれたのが、4月から6月にかけて新国立美術館で開かれた「ミュシャ展」でした。
あの「スラヴ叙事詩」の大作20点を見て、「モルダウ」の音楽の意味が少し分かったような気がしました。チェコの人たちが「モルダウ」を聴いてくださる時の、あの言葉にはできない“熱気”のようなものの意味を、少し共有できるような気がしました。繰り返された異民族からの攻撃、フス派の運動、ハプスブルグ家による長い支配、独立までの道のり・・・。けれども私のようなヨーロッパの、そしてチェコの歴史などほんのわずかしか知らない者が、あの一つ一つの絵から何かを理解したというのは、ほんのわずかです。ただミュシャが16年間あるお城に篭って、心血を注いで書き上げたスラヴ民族の歴史的場面から、数々の苦難の中でチェコ人がどんなに粘り強く、自分たちの生き方を守ろうとしてきたか、“自分たちの幸せは平和のうちにのみある”と、命をつないできたかというようなことが感じられたのだと思います。
そのミュシャがスメタナの「モルダウ」を聴いて、スラヴ民族の過去と現在を多くの人に知らしめようと決意したということを知り、私の中であの「モルダウ」が、今までとは違う力を持つことになりました。

テレジーンのヤマハ・ピアノは前回も感じた通り、非常に安定感のある、素晴らしい“チェコのピアノ”になっていました。そのことを17年前、募金に参加してくださったすべての方にお伝えたいと思います。チェコでのピアノ事情を考えれば、わずか3000人のテレジーンの町で、あのピアノがまさにテレジーンの宝の一つになっていると言えます。
市長さんはまた代わっていましたが、今回の若い女性市長さんのハナ・ロジョバーさんも素晴らしい方でした。ピアノを大事に思う気持ちをしっかり受け継いでくださっていて、厚芝さんから「テレジンのピアノの会」からの、“ピアノの維持のために使ってください”という寄付を、ほんとうにびっくりされ、またほんとうにうれしそうに受け取ってくださいました。
そして2年前のとき、私たちが市庁舎に到着するなり、「5年も空けずにもっと早くいらっしゃい。」とおっしゃってくださった元市長のチェホバさん。18年前初めてテレジーンでコンサートをさせていただいたときから、心の交流を暖めてきました。私はチェコ語がまったく出来ないし、実際の会話はまったくないのですが、心が通じ合うということがあるものです。少し心臓が苦しそうだったので、最後にお別れするときに、通訳のクリスティーナさんを介して「チェホバさん、お体大事にしてくださいね。」とお伝えしたら、間髪入れずにおっしゃってくださったことが、「あなたの音楽が私の体の中に入っているから大丈夫。あなたの音楽はほんとうに優しい。」ということでした。うれしかったです。そしてどちらかと言えばいつも“力強い”と言われる私の音楽を、“優しい”と感じていらっしゃるチェホバさんの心が、分かるような気がしました。

テレジーンの小学校で、リトミシェルの芸術学校で、生徒さんや先生方との交流を持ち、5月の景色を堪能し、「プラハの春音楽祭」の初日になんとバレンボイム率いるウィーン・フィルを聴き、そして何より初参加の方が多かったにもかかわらず、皆さんがほんとうに溶け合って楽しく過ごせた1週間。その素晴らしさは写真の笑顔で分かります。
また新たな1ページを開いた旅でした。

(テレジンのピアノの会会報「未来へのかけ橋第39号」より)