テレジーンでの4回目となるコンサートを、無事終えることができました。
最初の1999年は何も分らない中、“テレジーンでテレジーンの作品を弾く”ために行きました。そして翌2000年には新しいピアノのオープニングコン サートをさせていただき、2004年には、テレジーンからウルマン、クラインをはじめ、テレジーンの芸術活動の中心人物であった人たちがすべてアウシュ ヴィッツに移送されたその日から60年の、記念のコンサートまでさせていただいたのでした。それらはテレジーン市の対外的なイヴェントとしても大きな意味 を持つもので、大使や各界の方々も列席され、コンサートであり式典でもあり、そのようなところで演奏させていただくことはほんとうに名誉なことでしたし、 また責任も感じました。それは確かに何にも変えがたい経験でしたがまた一方で、テレジーン市民の方たちに、極自然な形で私の演奏を聴いていただきたいとい う気持も、ずっとあったのです。それは私個人の願いでもありまた、テレジーンの収容所の中で行われた数々のコンサートのことを考えると、“収容所”という 異常な状況の中で、音楽そのものの力がもっとも自然なあるべき姿で、人々の心に届いたものだったのではないかということを、ずっと思っていたからです。 “音楽で心が満たされる”、“慰められる”、“勇気が出てくる”、“音楽は自分たちのものだ”ということを、聴く人も演奏する人もほんとうに感じていたと 思うのです。そのことを原点としたコンサートをテレジーンでさせていただくことができたらそれも、“テレジーンの芸術活動”を生かすことにもなるのではな いかと考えていました。
そして今回は私のリサイタルだけではなく、是非子どもたちのためのコンサートもさせていただきたい、その中ではチェホバ市長さんに「ピーターと狼」の語り をお願いしたい、というアイデアがまず出てきました。“市長さんが子どもたちのために語る”ということ自体、すごく素敵なことですし、何より市長さんがあ のピアノと共演してくださることで、“あのピアノはテレジーン市民、みんなの物”ということが実感できると思いました。もちろんチェホバ市長のお人柄にほ れ込んでのことでしたが。
11年前はじめてお会いしたときから、皆あの温かく飾り気のない女性市長さんを好きになったと思います。私は2002年、あの大洪水の真っ只中チェコに 行ったとき、隣町のリトミニズィツェのホテルからフラトーさんと車でテレジーンに向かい、外部からの立ち入りが一切禁止されている中を、見張りのおまわり さん(?)にフラトーさんが色々まくし立ててとうとう入ることができ、真っ先に市庁舎へ向かい2階の事務所に行くと、あのチェホバさんがショートパンツ姿 でケータイ電話で何か一生懸命連絡を取り合っていました。“こんな非常時にかえって申し訳なかった”と思いましたが、チェホバさんは私を抱きしめて喜んで くださいました。あの何百年に一度と言われる大洪水の直撃を受けた直後のテレジーンでの再会は、忘れることができません。あのときのことを思い出すと、今 回こんなことができたことがいっそう夢のように感じられます。
それからもう一つのアイデアは、スメタナの「ヴルタヴァ」(モルダウ)をピアノで弾いてみようということでした。もう10年以上前だと思いますが、「ヴル タヴァ」のピアノソロバージョンの楽譜を東京で見つけ、買ってありました。この10年余りの間にたぶん10回ぐらい、“弾いてみよう”と思って譜面を眺め ては、“とてもとても無理”と、またしまいこんでいたものでした。技術的にとても無理でした。ずっとそうだったのに、昨年の10月また楽譜を開いてみたと きに何故か、“今度テレジーンでこれを弾こう”と思ってしまったのです。“そんなことを人に言ってしまったら、たいへんなことになる。”と思っていたの に、「ピアノの会」の運営委員会に呼んでいただいたときに、あっさり公言してしまいました。それからは覚悟を決めて練習したのですが、なかなか手ごわいも ので、でももう文句なしに魅力的でした。とにかく全力を尽くそうと思いました。スメタナの代表作と言うだけでなく、チェコの人たちの魂が込められていると も言える名曲を、しかもオーケストラの名曲をピアノで弾くなどということを、いい加減にできるわけがありません。ほんとうに必死でした。
テレジーンでの演奏は、今の私としては満足のいくものでした。それで弾き終わり立ち上がってお辞儀をしようとしたのですが、自分が立っている足の下から何 か大きな喜びが湧き上がってきたような感じで、思わず両手を握りしめてしまったのです。それと同時に聴衆が全員立ち上がったのです。その場の人たちが、完 全に一つになったように感じました。あの瞬間が持てただけでも、私が願っていたコンサートができたと思えました。
リサイタル全体はモーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、クライン、スメタナというものでした。クラインを弾く前だけ話をさせていただきました。「ギデ オン・クラインのソナタを今日は、25歳で命を奪われた作曲家が収容所の中で書いた作品としてではなく、この偉大な作曲家たちの作品と肩を並べることので きる作品として、聴いていただきたいと思います。」と。これも長い間、是非このようにしてクラインの作品を演奏したいと思っていたことでした。そして私自 身今回このクラインのソナタを、今までよりそのありのままをつかむことができたように思えましたし、だからこそ今までにも増して、この作品の素晴らしさを 感じることができたのは、ほんとうにうれしいことでした。
プラハでのパズデラさんとのデュオ・コンサートとテレジーンでの2つのコンサート。3日間で3つのコンサートをさせていただくという大仕事でしたが、不思 議にエネルギーが涌いてきました。そして今考えれば、ほんとうによくこのような企画が組めたものだと思うのです。多くの方の思いと、いろいろな立場の方々 の丁寧な仕事の積み重ねが、こんなことを実現させたことを思うと、やはり「人の力の結集というのは、ほんとうにすごいものなのだ」と思わずにはいられませ ん。
今回の旅で、チェコという国がほんとうに好きになりました。テレジーンのこともチェコの歴史の流れの中にあったこととして、見ることができるようになった と思います。そしてチェコの音楽がますます好きになりました。音の向こう側に広がっている、自然と人間が一体になった温かい世界に、これからたくさん触れ ていきたいと思っています。
志村 泉
ムジカ音楽・文化・教育研究所の機関誌「ムジカ」
および テレジンのピアノの会の機関誌「未来へのかけ橋」より転載