「長崎大会」~テレジーンから長崎へ

2010/06 : 志村 泉
音楽教育の会第55回全国大会要綱

5月に数年ぶりにチェコへ行ってきました。13年前初めて訪れてから7回目となりますが、今回はチェコの魂が表現されていると言ってもよいスメタナの代表 作、交響詩「わが祖国」の『モルダウ』のピアノソロ版を、コンサートのプログラムに入れたことで、チェコという国の中に、またその歴史の中に今まで以上に 入りこんだ気がしました。

またテレジーン ― 18世紀にヨゼフ2世によって要塞として作られた美しい町。第2次大戦中はナチスによって町全体が収容所となり、4年間に延べ14万 人の人が収容され、その9割近くが命を落とした。 ― では私のリサイタルだけではなく、市長さんに語っていただく「ピーターと狼」を入れたプログラム で、子どもたち(実際には大人のほうがずっと多かった)に聴いてもらうコンサートもできました。

チェコでの『モルダウ』は、聴く人も演奏する方もやはり特別な感慨がありました。テレジーンの収容所の中で作曲された作品を弾き、そして日本の一番南の 島・沖縄のわらべ歌による『てぃーちでぃーる・じんじん』を弾き、この二つはテレジーンの町の人たちにとってはどちらも普段聴くことのない音楽でした。 10年前、日本から贈られたピアノのオープニングコンサートをさせていただいた私のことを、町の人たちは極身近な存在として待っていてくださったことが、 ひしひしと感じられました。言葉が通じなくても、心が完全に一つになる瞬間を持つことができたように思います。

今回の、プラハとテレジーンで3日間に3つのコンサートをするという計画を成功させるために、私はかなり長い時間とエネルギーをかけきっていましたので、 そのあとのことはほとんど何も考えられないような状態でした。確かに大きな取り組みでした。これが終わったら自分が何を思うのか、どんな気持ちになるのか 見当もつかないという感じでいました。

チェコでの1週間、コンサートとその準備以外の時間はできる限り町を歩き、古い教会に入ってみました。そしてほんの1世紀余りさかのぼればそこに生きた人々の生活は、そのころの日本とは交流のない、まったく別の世界であることを改めて感じました。

帰りの飛行機の中でぼんやりと、あの音楽を共有する喜びの瞬間を持てたことと、あのすべてが違う、まるで別世界のような歴史の重みとがどうつながるのか、 何かとても矛盾するような不思議な気持が私の中にありました。チェコに限らず、今は私たちの日常に深く入り込んで一体化している西洋の文化は、明治以降日 本に流れ込んできたのだし・・・と考えていて、「アッ、長崎だ!長崎はずっと西洋にも開かれていたんだ!」と気づき、「アッ、そうだ。長崎大会だ!」と、 急に自分のことに戻ったのでした。

そしてまたホロコーストと原爆という、20世紀最大の悲痛事もつながっているではないかと思いました。そう思った瞬間、「チェコが終わったら今度は長崎大 会。」と、まるでまったく別のことに切り替えなければという思いでいたのが、そうではなくこれはすごいつながりなのだと感じたのです。

偶然といえば偶然、何のつながりもないと言えば、もしかしたらそうも言えるかもしれない。でも私は何か大きな大きな波に乗っているような気持ちでいます。

2010年6月
志村 泉

音楽教育の会第55回全国大会要綱 より転載